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客観

  • 人は「主観」と「客観」という二つののものの見方(観点)を持っている と言うことが出来ます。
  • 「主観」の根っこにあるものは「感覚」であり、
  • 「客観」を組み立てるのが、「思考」であると言ってもいいでしょう。

これは、原子構造や、地球の内部構造などにも同じ事が言えます。

  • 想像図は、まるで誰かがはるか彼方の宇宙空間に浮かんで 太陽系全体を眺めているような景観を描きだしているのですが、実際は 誰一人として太陽系の外まで出たことはありません。肉眼で見たわけではないので、これは感覚ではなく、思考の働きです。
  • 「想像的景観図」は、「想像上の『視点』」を、前提としています。
  • 地上にいる人に取っての、実際の、ナマの目=実感 に映る太陽は「昇ったり、沈んだり」しているのであって、くるくると回る惑星たちの中心に居座っているものではありません。
  • ですから、客観的に考えようとする時、ヒトは想像の中に入り込まなければなりません。
  • 想像上のヴィジョン(景観の映像)と それを見ている想像上の自分、そして、そのふたつを容れる 想像上の空間。
  • このように、「客観視」というものは、「自分自身を想像する」という、高度な想像力に依存しているのです。

夢や空想の場合も、まったく同じです。夢(想像)の中では、見えている光景だけが夢なのではなく、それを見ている自分も夢であり、その自分や光景を含んでいる空間も夢です。

  • 科学(サイエンス)とは、厳密に組み立てられた「想像」であり 別のヒト(他の主観)によって、何度も確かめられる事を通して、その空想の「妥当性=信用度」がテストされます。
  • そして、現実に「役に立つ結果」をもたらす事が出来なければ その 理論=想像 は 的を外している と(他人の主観によって)判断されることになります。
  • 科学的知識というものは、実証(実験)だけではなく、論理的であるかどうか、というテストにも通らねばなりません。
  • 理論とは、事実の解釈の構造なので、厳密なコトバのルール(論理)にのっとって語られなければなりません。
  • 「客観的事実」と聞くと、人の目(主観)から、完全に独立しているイメージが強いのですが、このように、どうしても言語で語られなければなければならなくなるのは、客観的事実というものが、実際は、他人の目(妥当性、信用度、認識の共有度、評価)に依存しているからです。
  • 逆に、「主観」の方は ただ 感じている、味わっている。という形が原型です。
  • しかし、主観は、「他人に認められる」ことを欲し、より、客観(認識の共有)に近づこうとします。
  • 主観が「実感」のまま、おとなしくしていられなくなって、沈黙を破り、外に向かって語り始めるとき、 その主観は 「共有されること」、「評価され、信用される事」を欲望していると言えます。
  • 客観を目指し始めた「主観」は、未熟ながらも、客観(仮説)です。
  • なぜ客観を目指すのかといえば、おそらくは、検証されない単なる主観は 「ただの思い込みかもしれない」という不安を内在させているからです。
  • 「客観=認識の共有」への衝動は不安からの逃避行動であるともいえます。
  • 実感は実感であり、空想は空想である、と理解して、自覚的に「使用」するときのみ、知識は道具として適切に使われるはずです。
  • しかし、知的空間=空想空間 に長く留まり過ぎると、だんだんと、「客観的事実」 が 『空想の産物』である」とは思えなくなって来ます。
  • この場合、「実感」は「空想」の邪魔者として追い出される傾向を持ちます。
  • 『空想』と『事実』との入れ替え、逆転、 が起きるのです。
  • いま述べてきたように、科学的な世界像(世界イメージ)が「想像的な観点」から組み立てられた 「想像的な世界」であるのと同様に、宗教的な世界像、神秘主義的な世界像も、同じ穴のムジナで、コトバで語られる限り、根っこのところでは「他人(仲間や敵)の目」をとても気にしています。
  • 「客観」は、未熟であるほど【不安】を内在させているのです。
  • これが ヒトが理屈をこねる時の、最も根源的な 動機であるかに見えます。

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Last-modified: 2013-12-24 (火) 12:55:50 (1484d)